Fプラン(土地利用計画)は石に彫られたものではない ドイツ土地利用計画は静的な目標像か − その建前と本音 |
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ドイツのまちづくりを進める法的な手法である「建設誘導計画」は、Fプラン(土地利用計画)とBプラン(地区計画)の「二段階」で構成されています。とくに、「市町村全域に関するマスタープラン」としての機能を有すFプランは、市町村の全域に関し、「まちづくりが目ざしている目標像」、つまり完成した姿を示す静的な目標像だと理解されているようです。
しかし、ドイツの情報に接していると、確定した将来目標像であるはずのFプランが、頻繁に変更されていることがわかります。だから、Fプランは、静的な目標像ではなく、動的なプランとして運用されているようにも見えます。ドイツでFプランに関して行われていた議論や、Fプランから展開するとされているBプランの運用実態を調査し、この点を考えてみましょう。
(2017.05.08/2024.01.24更新)
ドイツの二段階計画では、Fプランは市町村全域に関して15〜20年後を想定した土地利用を示し、Bプランは必要に応じて地区毎に道路や建築規制を指定していきます。この両プランの関係につき、建設法典第8条第2項が、Bプランは、Fプランから展開されるものとすると定めています。この規定によると、「将来の都市の姿を示したFプランを目ざして、地区毎にBプラン策定を進めていく」のが、ドイツ都市計画の二段階構成になるわけです。つまり、Fプランは将来の土地利用を静的に示した目標像の機能を分担しているわけで、これがFプランの「建前」になります。
日本では、1970年代中期に、ドイツから専門家を招き、東京でドイツ都市計画制度の検討会が行われました。当時、この二段階構成は、「ビジョンである目標が明確に示されて、それを目ざす点で合理的だ」と、どちらかというと好意的に、「進んだ方式」と理解されていました。たとえば、検討結果をまとめた日本建築センターの『西ドイツの都市計画制度と運用 − 地区詳細計画を中心として』(1987年)は、この点を、日本と比較して次のように紹介しています(p.255)。
これに対して、西ドイツの場合は全市レベルの土地利用計画がまず作成され、これを地区詳細計画という地区ごとの計画によって、段階的に実現するものである。したがって、開発許可は原則として詳細計画の存在する地区に限られ、建築行為を行なうことのできる地区が指定されるばかりでなく、土地の区画形質の変更と建築物の詳細な位置と形態を定めた地区詳細計画への適合が開発許可の要件となるため、常に全市レベルおよび地区レベルの都市施設整備と整合せしめることができる。この点はわが国の場合と比較して、非常に大きな相違点であると考えられる。 |
注:この本に「地区詳細計画」と書かれているのは、Bプランのことです。また、「開発許可」という用語も出てきますが、ドイツには建築の前段階である「土地の区画形質の変更」を対象とした許可手続きはないので、Bau-genehmigung(建設許可、建築認可)のことだと考えられます。手続き的には日本の建築確認に相当しますが、公的な法令全てに関して適法性がチェックされ、結論が出るまで何ヶ月間も待たねばならないのが普通です。 |
もちろん、このような事態への対応も試みられていました。その中心が、イギリスの都市計画制度をモデルとした「都市発展計画」です。長期的な観点に立ち、行政の各分野、特に空間計画に関する事項と財政面とを総合し、事態の推移にも柔軟に対処できる計画とされており、その目標設定などが議論されていました。計画は図よりも文言が中心で、眺めたところ、日本の「都市総合計画」に近い計画だという印象を受けました。
もうひとつが、プラン策定での工夫です。Fプランの表示をおおまかなものにとどめてプラン変更を少なくしたり、FプランとBプランの中間段階にプランを作成して両プランの関連を保とうとするものです。逆に、Bプランの策定には負担が大きく都市の展開に間に合わないとして、Fプランを詳しくして、Bプランなしでまちづくりをコントロールしようと試みた市もありました。
連邦建設法改正案は、1974年にまず連邦参議院に提出されました。連立を組んでいたドイツ社会民主党と自由民主党の間で対立点があったため審議に長期間を要し、かなり修正されて1976年にようやく成立しています。 |
連邦建設法は1976年に改正され、いくつかの規定が新設されます。FプランやBプランの議論に関連した改正として、第1条に、発展計画(Entwicklungsplanung)が存在している場合は、その内容を尊重してFプランおよびBプランを策定すべきことが規定されました。また、プランの内容面でも、Fプランについては、プランを実現していく順序の予定を示すことを可能にしました。Bプランについてもインフラの確保に関する条を追加し、一定の基盤整備の実施までは土地の利用を認めないことを可能にするなど、発展、展開を重視した改正が行われました。
その10年後に、連邦建設法と、再開発や新開発手法を規定する都市建設促進法を合体させ、建設法典が誕生します。しかし、1976年に追加された発展計画や実現順序に関する規定は、受け継がれませんでした。これは、都市の発展計画が「意味がない」と捨てられたことを意味するものではありません。各市が、置かれた状況に応じていろいろな試みを行うことは、望ましいことです。しかし、法律に一旦規定すると、それがFプランやBプランに負担をかけるようになります。また、FプランとBプランの運用での習熟が進み、発展計画がなくてもまちづくりをうまく進めているケースも出てきました。このような状況を考え、規定の一部スリム化が図られたものだと考えられます。
しかしその後、私は「ドイツの二段階計画システムの運用は、必ずしもFプランが静的目標像で、Bプランがそれを目ざす地区毎のプランとはなっていないのではないか」と考え始めました。インターネットを通じてルール地方のまちづくりに日常的に触れる中で、Fプランの変更が思っていたより頻繁に行われていることを知ったことがきっかけです。たとえば1985年に決定したFプランを利用しているドルトムントでは、2000年頃には、すでに100回以上もFプランが変更されていました。また、ドルトムントの東にある環境都市ハムを2003年に訪問した際も、都市計画局でBプラン策定とFプラン変更が一緒に縦覧されていましたが、Fプランの変更回数はドルトムント以上でした(何回目の変更だったのか覚えていませんが、とにかく「ドルトムント以上だ」と驚いたことは確かです)。だから、中規模以上の都市では、Fプラン変更が年に10回近く行われていると考えていいようです。日本の都市計画で重要な区域区分(線引き)が、原則的に5年毎にしか見直されていないことを考えると、これは実に大きな違いです。
Fプランが変更されている点は、私がまちづくりを追跡している他のルール地方の都市にも共通して見られます。とくに、大型店が進出可能な場所をFプランに示すことが求められたり、デベロッパーが自分の費用でBプラン案を作成して提案するプロジェクト型Bプランの登場で、Bプラン策定に際してFプランが変更されるケースが多くなってきているように感じられます。
このようなFプランへの疑問を確信に変えたのが、2000年に開始されたドルトムントの新Fプラン策定に関し、市民や各種団体から出された意見がどう扱われているのかを調べた際の発見です。Fプランが静的目標像であれば、旧Fプランで宅地と計画されていた用地が、新Fプランで緑地に戻される事は非常に例外的にしか生じないはずです。しかし、ドルトムントの新Fプラン案への意見を調べていて、旧Fプランの住宅用地が緑地に戻される例が市内各地に見られることがわかりました。新Fプランの説明書によると、旧Fプランで住宅用地とされていた用地のうち、まだ利用されていない新規住宅用地(Bプラン策定中・策定済みも含む)が415ha程度残っていましたが、その1/3強にあたる147haは、新Fプランで緑地系(緑地、農地、森林や墓地)に戻されました。また、旧Fプランに関して2001年までに行われたプラン変更により、新たに120haが新規の住宅地とされた一方で、緑地系に戻された住宅用地も35haあったそうです。
このような事情を知り、「住宅用地」を初めとするFプランとして示されている土地利用の「計画」は、固定的な目標像ではなく、変更が可能な将来ビジョンではないか、と考えるようになりました。
ドイツの二段階計画システムの実態がどうなっているのかを知るひとつの手がかりが、Fプランから展開されると定められているBプランが、実際にどう策定され、Fプラン変更がどの程度行われているかを調べることです。ドルトムント市が策定を進めていた新Fプランは、2004年末に発効しました。そこで、「この新Fプランの下で、どのようにBプラン策定が進められていったのかを調べる」、という方法を思いつきました。
Bプランの策定では、策定開始、参加と発効の際に告示(Bekanntmachung、公告)が義務付けられています。ドルトムント市の場合は、毎週発行している市公報にこの告示が掲載されているので、市公報を資料に、2004 年末に新Fプランが発効した後の10年間である2005〜2014 年に告示が行われたBプランのリストを作成し、分析しました。対象となる10 年間に、ドルトムント市で告示対象となったBプランは、計254件でした。このうち、プラン廃止(19件)と、形質変更禁止、区域変更等、プラニングが進んだことが確認できない計25 件を除外し、229件のBプランを対象に分析を進めました。
この229件を、プランの新規策定とプラン変更に分けた上で、一般、簡易、迅速と手続き別にFプランとの関係を示すと、次の表になります(手続きの3種類については、こちらに説明しています)。なお、2006年の建設法典改正で登場した迅速手続きでは、Fプランから展開しない場合もFプラン変更は不要で、プラン告示の際に「Fプランを訂正する」と確認されます。それで、このFプラン訂正を「Fプラン変更」と考え、表に示しています。
策定手続きの種類 | 件数 | 展開 | 変更 | ||
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新規策定 | 一般手続き | 107 | 59.8% | 40.2% | 平均 31.9% |
簡易手続き | 8 | 100.0% | 0.0% | ||
迅速手続き | 29 | 89.7% | 10.3% | ||
プラン変更 | 一般手続き | 20 | 80.0% | 20.0% | 平均 5.9% |
簡易・迅速手続き | 65 | 98.5% | 1.5% | ||
合 計 | 229 | 77.7% | 22.3% |
次に、プラン策定に関する初の告示である「プラン策定を開始する」という開始議決の告示が行われた時期別に示したのが、右の図です。常識的に考えると、新Fプラン策定直後はほとんどのBプランが「展開」として策定され、期間の経過と共に予測できなかった事情の変化が生じ、Fプラン変更が増加してくると考えられます。右の図に関し、3つの点を説明します。
こうして、「Fプランは決して静的な目標像ではなく、むしろ暫定的に将来土地利用を示したもの」だという、運用の実態が見えて来ました。
この「ドルトムントにおけるBプラン策定10年間の実態」は、科学研究費補助金で行った「人口減少下のルール地方6都市における土地利用の計画と転換に関する研究」の一部です。福島大学附属図書館にあるリポジトリに、2015年に発行した「研究成果報告書」のpdfがあるので、そちらも参考にしてください。なお、成果報告書の[学会発表]に記している「ドルトムントにおけるBプラン策定による内部開発の進展 − 新Fプランの決定後10 年間におけるBプラン策定状況の分析」(日本建築学会大会学術講演梗概集、2015年、No.7255)は、Bプラン策定をもう少し広い観点から分析しております。 |
デュイスブルク市北部のライン川そばの旧ラインプロイセン炭坑のゲルト坑。周囲には農地が広がる。(2019年撮影) | |
策定中のデュイスブルクFプランの、2016年11月末の状況。ゲルト坑周囲を枠で囲い、左上に拡大して示した。拡大図に見える斜線は水域法で堤防保全区域に指定されていることを示し、Fプランの指定内容ではない。 |
このように柔軟な運用を可能としているのが、「Fプランの効力を行政内部に限定」している点です。もしFプランが一般市民に影響を及ぼすとすると、「一旦決めたものを変更してもらっては困る」ということになり、極端なケースでは補償の必要が出てくる可能性もあります。二段階の建設誘導計画で、Fプランの効力を行政内部に限定していることが、Fプランを、不確実性を有し、変化し続けている社会へ対応できる「柔軟な暫定的土地利用計画」にしている、と言えます。
最後に、デュイスブルクの新Fプランを策定するための住民参加の場で行われた議論を紹介したいと思います。デュイスブルク市のライン川の西側に、右上の写真のように、旧ラインプロイセン炭坑の換気塔などの施設が残り、放置されている場所があり、ゲルト坑と呼ばれています。石や煉瓦で建設され、文化財とされている建物は、補修すれば十分活用できます。ここを産業パークにしてオフィスや作業所、住宅を展開したいと考えた企業家が、用地を購入した上で、2016年末に「石炭と鉄の場から、文化とイベントの場へ」と銘打つ開発案を発表したところ、周囲から好意的に受け止められました。しかし、新Fプラン案は、ここを旧プランと同じく「緑地」としていました。この状況で、2017年4月はじめに、新Fプランについて地区で説明会が行われました。説明会では多くの点が議論されましたが、最終的に残った問題は2点で、そのひとつがこのゲルト坑跡地です。集会には市議会議員などの地元政治家も参加しており、その説明を受けて「このプランで問題ない」ということになりました。地元議員は、こう説明したそうです:「 Fプランは石に彫られたものではない。基本的に行政を拘束するが、政治は個別に変更できる」。つまり、行政とは異なり、議会というFプランの決定権限を有する(つまり、変更を行える)政治はFプランに拘束されるわけではないので、Fプランはこのままで問題ない、というわけです。
もちろん、デュイスブルク市の上位に広域的なプランがあるので、市の政治だけでは動かせない場合もあるでしょう。しかし、この炭坑跡地の利用にはその種の制約はないので、市レベルで議論がまとまれば、Bプラン策定とFプラン変更を同時に開始することが可能だということです(なお、内容によっては、Bプランを策定しないまま、建築認可で整備を進められる場合もあります)。たしかに市全体のことを考えると、Fプラン策定の準備がかなり進行している段階で、この問題でFプランをさらに遅らせるのは望ましいとは言えないかもしれません。むしろこのまま進めて新Fプランを早期に発効させ、その新プランの下でプラン変更を行う方法があるので、Fプランはこのままで良い、これが政治の意見でした。このように、BプランやFプランを策定する政治家の間では、Fプランは暫定計画だと理解されているわけです。ドイツの都市計画は、FプランとBプランの相互作用で展開し、進んでいく、と言えるでしょう。