| ラブパレード惨事 デュイスブルク・2010年 |
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ドイツのルール地方のデュイスブルクで2010年7月24日(土曜日)に行われた音楽イベント「ラブパレード」で、イベントがクライマックスを迎える直前の午後5時頃、入退場を行うランプ(斜面)で事故が生じ、死者21名、負傷者が500名以上という大惨事になりました。ラブパレードは世界最大規模の音楽イベントと言われており、テクノ音楽を奏でる多数のフロート(移動舞台)がパレードし、その周囲で若者が踊り、練り歩くイベントで、当初はベルリンで開催されていました。
ここでは、現地の報道をもとに、事故の状況や議論を紹介します。このように悲惨な事故は防ぐことが可能であり、二度と生じないようにしなければならない、と思っております。
| 会場へのルート |
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| ラブパレード事故と明石歩道橋事故 | 2010.8.20記 |
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| ポイント | デュイスブルク・ラブパレード事故 | 明石花火大会歩道橋事故 |
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| 事故の日時 | 2010年7月24日(土曜)午後5時頃 | 2001年7月21日(土曜)午後8時半頃 |
| 死傷者数 | 死者21名(20〜40歳の女性13名、男性8名)、重軽傷者500名強 | 死者11名(10歳未満9名、70歳以上2名)、重軽傷者247名 |
| イベント 参加人数 | 当初は140万人と発表されたが、3日後に、会場にいたのは約20万人という推計も出された。その後、主催者は数字を3倍に水増しして発表していたと述べ、市も主催者からの口止めを認めた。 | 約13万人が参加したと報道されている。 |
| 前年までの 状況 | デュイスブルク旧貨物駅での大規模イベントは初めてだった。2007年はエッセン、2008年はドルトムントで開催されたが、2009年(ボーフム)は安全と会場、輸送の問題で中止された。 | 1998年も同じ大蔵海岸で花火大会が開催されたが、歩道橋完成後に大蔵海岸で行われるのは、2001年が初めてであった。(半年ほど前のイベント時も歩道橋が混雑したという情報がある) |
| 死者が 生じた経過 | 会場入口の混雑で入場を制限した結果、二方から詰めかけた参加者がT字路に滞留し、その群衆が避難階段(手前に人の背丈ほどのフェンスがあったそうです)を目ざして動き、階段周辺で圧死が生じたと思われる。 | 駅と会場双方からの見物客が幅6mの歩道橋で鉢合わせになり、海側の階段(こちらは幅が3mと狭くなっていたそうです)付近の曲がり角で将棋倒し事故が生じた。 |
| 事故地点の 警備責任 | 主催者になっていたが、映像では主催者側の係員は確認できず、警察官の姿が目立つ。(警察が緊急に対応していた模様である) | 警察から警備会社に依頼されていたが、事故時に警備員は歩道橋内に入れなかったと報道されている。 |
| 当初発表の 誤り | 当日夜の会見で、市長が「壁をよじ登った者が墜落して死亡した」と述べた。しかし、それを示す映像はなく、検死により、死者はみな圧死であることが確認された。 | 警備会社が、屋根に上がった若者が混乱の原因だと述べたが、実際には若者は群集を誘導しようとしていたことが明らかとなった。 |
| 事故現場の 画像 | ユーチューブで検索すると、投稿された多数の映像を見ることができる。 | 神戸新聞に、将棋倒し直後の写真が掲載されたそうである。 |
| 翌年以降 への影響 | 事故の翌日、主催者はイベントを廃止すると発表した。 | 事故以来、明石市民夏まつりで花火大会は開催されていない。 |
| 事故の状況が次第に明らかになる | 2010.9.6記/2011.12.28更新 |
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| 惨事が生じた会場入口周辺 |
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主催者は何名の整理要員を準備し、どのように配置し、作業を分担していたのか。
フロートの動きをどのようにして制御していたのか。
誰が(3)の閉鎖を決めたのか(主催者側の群衆マネージャーが姿を消しているため、確認できていない)。
トンネル入口の閉鎖が失敗したのはなぜか(これがなければ(1)と(2)の鎖が機能したと思われる)。| 市長リコール問題や提訴 | 2010.10.5記 |
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この州(ノルトライン・ヴェストファーレン)の自治体法によると、リコールは市議会議員の半数以上の署名で提案されます。この提案が市議会で3分の2の多数で可決された場合、住民投票にかけられ、リコールに賛成する票が投票の過半数、かつ有権者の25%以上あれば成立です。本件の場合、市議会の勢力関係から見て、「市議会で3分の2の多数」を獲得するのが非常に難しく、住民投票が行われるかどうか疑問視されていました。
市長が自発的に辞任しない背景には、俸給と年金の問題がある模様です。自発的辞任では俸給がなくなりますが、リコールによる辞任では、リコール後3ヶ月間は市長の給与を受け取り、本来の任期(2014年10月)まで最終給与の71.75%が保証され、その後は年金がつきます。しかし、自発的に辞任すると、給与が直ちになくなることに加え、市長になってまだ2期目の途中なので、市長職への年金ももらえないそうです。リコールの場合に給与を保証する規定の趣旨は、「当初の選挙結果を尊重する」ことにある、という話しです。
8月末に、「市議会議員の半数以上の署名」でリコールが提案されました。この提案が9月13日の市議会で審議され、事前の予想通り、リコール手続きは行われないことに決定しました。リコール提案に必要な半数は獲得できましたが、住民投票の実施に必要な「市議会で3分の2の多数」を得ることができなかったためです。もともと、「市長が所属するキリスト教民主同盟(CDU)からリコール賛成者が出ない限り無理」だったのですが、CDU全員の反対に加え、少数会派からリコール反対が3票あり、緑の党から2名の棄権者が出ました。この結果、現市長の任期が今後さらに4年間継続することとなりました。今後の関心は、「これだけの大きな事件が生じ、市を代表する顔として順調に職務を遂行できるのだろうか」という点に移っています。
市長退陣を要求している住民グループは、「この問題を議会の手だけに与えることは誤りであることを示している」とコメントしています。そして、「市議会の議決がなくてもリコールの住民投票が可能な州もあるので、今後は住民請求でリコールできる制度を要求する」そうです。奇しくも今日、日本では「阿久根市長リコール、年内にも住民投票へ」というニュースが流れています。
彼女は3歳の子どもの母親で、ラブパレードに行きたくなかったそうですが、「ラブパレードで誕生日を祝いたい」という友人に説得され、出かけました。トンネルに入ったのは16時20分頃、問題のランプに達したのは16時45分と50分の間で、「突然ぎゅうぎゅう詰め」になり、隣の若い女性から「倒れたら死ぬよ」と言われたそうです。この混雑から抜け出られないと思い、子どもに電話しようと携帯を取り出そうとしたが取り出せず、逆に倒れたそうです、隣にいた若い女性の上に。その若い女性は死亡し、押しつぶされて意識を失っていた彼女は、友人の手で助け出されました。手術を受け、退院しましたが、まだ自分の足では歩けず、松葉杖と車椅子が頼りです。
彼女が倒れた原因は不明ですが、この惨事にはランプにあった凹凸が影響しているのではないか、という説が出されています。ランプには石が敷き詰められていましたが、ある報道によると、端の方に段差があって土の面に続いており、またそこにあったマンホールの蓋の部分が凹んでいて、応急的に上にフェンスが置かれていたのだそうです。そして、そのあたりで死者がかなり出ているそうです。将棋倒しはなかったものの、凹凸の影響で1人、2人と倒れていったのかもしれません。| 州議会資料から明らかになったこと | 2010.12.4記 |
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| 時 刻 | ハード | パーティ | 見物 | 入場計 | 退場 | 出入計 | 会場滞在 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 11〜12 | 10,000 | 20,000 | − | 30,000 | − | 30,000 | 30,000 |
| 12〜13 | 10,000 | 20,000 | − | 30,000 | − | 30,000 | 60,000 |
| 13〜14 | 10,000 | 20,000 | 47,000 | 77,000 | − | 77,000 | 137,000 |
| 14〜15 | − | − | 47,000 | 47,000 | − | 47,000 | 184,000 |
| 15〜16 | − | − | 47,000 | 47,000 | 47,000 | 94,000 | 184,000 |
| 16〜17 | − | 20,000 | 47,000 | 67,000 | 47,000 | 114,000 | 204,000 |
| 17〜18 | − | 20,000 | 47,000 | 67,000 | 47,000 | 114,000 | 224,000 |
| 18〜19 | − | 20,000 | 47,000 | 67,000 | 47,000 | 114,000 | 244,000 |
| 19〜20 | − | − | 47,000 | 47,000 | 47,000 | 94,000 | 244,000 |
| 計 | 3万人 | 12万人 | 33万人 | 48万人 | − | (6万人) | 25万人以下 |
3グループの合計は48万人で、これが予測参加者数です。当日は主催者から140万人という数字が発表されたのですが、この数字はとんでもない水増しだったことがわかります。
警察が最も問題とした数字が、「出入計」です。トンネル東西の出入口には、通過する人を制御するため、主催者が「入場整理機」を設置することとなっていましたが、その処理能力は各3万人で、合計でも6万人です。したがって、13〜14時には1万7千人、そして退場者が出てくる15時以降は継続して、処理能力を超える状況になります。
入場整理機をトンネル入口から離し、退場者は整理機を利用しないで済むようにする。
会場に向かうルートの途中に、警察が通過を規制できる場所を設置する。
会場へのルートを監視し、スピーカーや掲示で参加者に状況を知らせるようにする。
会場の関係者によるワークショップを行い、責任等を確認する。| 「市長の信頼回復」への遠い道のり | 2010.12.10記 |
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| 市長リコールが第二ラウンドへ | 2011.12.28記 |
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| 市長のリコールが成立 | 2012.2.16記 |
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