なぜ「わずか150mに3分も」要したのか大川小学校事故検証委員会が間違ったこと

 津波の高さはピークを過ぎると次第に低くなっていくので、堤防からの越流は遅くとも津波のピーク時刻に開始するはずです。そこで、検証委員会が推定した月浜第1水門における津波ピーク時刻15時28分と、根拠3に示した新聞記事4で住宅が津波にのみ込まれた時刻の15時31分を照合すると、結果的に「津波が堤防から150m離れたところまで進むのに3分間以上を要した」ことになります。一方、根拠2に示した名取川の新聞記事によると、海岸から約2キロ、川から800mの陸地でも津波は秒速3.0mで進んでおり、150m進むには1分もかかりません。だから、3分はいくら何でも「かかりすぎ」です。なぜこのようなことになったのか、原因を考えてみましょう。

(2014.06.07/2016.11.28更新)


3つのポイントについて考える
ポイント1:投稿者の時計は正確か
     まず疑問とされるのが、記事投稿者の時計が正確かということです。投稿者の「わずか8分間」は、15時23分から31分までなので、時計が1分遅れていたとすると、住宅が流され粉々にされたのが15時30分となり、津波が堤防から150m離れたところまで進むのに要した時間が1分減少して「2分」になります。
     しかし、その場合は8分間が「15時22分から30分まで」となり、投稿者が新北上大橋と月浜第1水門前の中間地点で津波の立ち上がりに出会った時刻が、15時23分から「15時22分」に繰り上がります。実は、この15時22分は、検証委員会が津波の立ち上がりが月浜第1水門前を通過したとしている時刻なので、矛盾します。だから、投稿者の時計は遅れていません。
     投稿者が「わずか8分間」と確認した瞬間が少し遅れた可能性はありますが、投稿者による時刻の記録は全体的に正確で、誤差があるとしてもせいぜい数十秒程度でしょう。

ポイント2:津波が進んだ距離は150mか
     東日本大震災の特徴は、多数の映像が記録されていることです。「大川小学校の悲劇」との関係で私が関心を持ったのが、宮古市を流れる閉伊川から越流が開始する様子を、宮古市役所の職員が撮影した映像です。閉伊川は二級河川で、川幅も200m前後と北上川の三分の一程度ですが、越流の様子を捉えている貴重な映像で、ユーチューブにアップされています。
     映像は全体で14分50秒あり、開始からちょうど6分のところで越流が開始します。この映像を何回も眺めていて、越流を開始する「瞬間」に、津波が堤防と直角ではなく、撮影している市役所の方向へ少し斜めに進んでいるようにも感じられたのですが、いかがでしょうか。そこで、方向がどの程度変化し得るものか、図を描いて考えてみました。

     エネルギー的にみると左側の図が考えられ、堤防から150m離れたところに達するのに倍の300m程度の距離を進まねばならなくなります。しかし、宮古市の映像によると、波は堤防からほぼ直角に進んでおり、左の図は誤りです。思い出したのが、波の進行に関するホイヘンスの原理(ウィキペディア)です。この原理で考えると右側の図となり、波は堤防とほぼ直角に進み、宮古市の映像にも適合します。直角から25度ずれる場合でも、波が進む距離はほぼ1割増しで、「堤防から150m」の地点に津波が到達するのに160〜170m程度を進むことになります。
     一方、津波の速度ですが、「バリバリという音」がしたことから考え、越流津波の高さは4〜5mはあったと思われます。その場合、1分間に400m前後も進む計算になりますが、障害物がある陸上であることを割り引かねばなりません。しかし、たとえば半分の分速200m程度と考えても、1分以内に到達できます。
     だから、「波が斜めに進んだ可能性」で3分かかったことを説明するのは、無理です。

ポイント3:ピーク時刻の推定は正確か
     北上川には河口近くの月浜にも水位計が設置されていますが、地震の揺れで計器が不具合を起こしたようで、データを利用できません。そこで、第4回検証委員会では、上流にある「福地」と「飯野川上流」の記録をもとに、津波第一波の立ち上がり時刻とピーク時刻を推定すると説明されています。位置関係は、下の図のようになります。


    最終報告書p.2の図を基礎に作成

     立ち上がりの津波は、川の中を静かに遡上していったので、推定時刻はほぼ正確だと思います。しかし、ピークの津波は、大川小学校のある新北上大橋まではもちろん、その後も間垣で堤防から大量に流出し、福地に到達した時には水量がかなり減少していたはずです。遡上する津波の水量が減少すると、津波の高さが低く(水の深さが浅く)なり、ここで説明しているように、遡上スピードが遅くなります。検証委員会は、その遅くなった速度で、下流におけるピーク時刻を逆算で推定しているわけです。
     この計算法の結果、とくに新北上大橋までに関するピーク時刻は、実際より少し早い時刻が推定されていると考えられます。津波が堤防から150m離れたところまで3分間かかったわけですが、距離から考えて越流開始から1分以内に到達しているはずなので、ピーク時刻の推定差が2分強あることになります。


    津波の遡上につき、検証委員会が推定した「立ち上がり」時刻を青い矢印「ピーク」時刻を赤い矢印で、そして実際のピークと考えられる時刻を薄いピンク色の矢印で示している。

     この「2分強」という値ですが、これは「少なくとも2分強の遅れがあった」ということです。実際に津波がいつ越流を開始するかは「堤防と津波の高さ関係」で決まることなので、ピーク時刻より前に越流し始めた可能性があります。だから、遅れはたとえば「3分」だったかもしれません。


残る「2分の遅れ」を説明できればよい

 以上、3つのポイントについて検討しました。津波が「わずか150mに3分も」要したように見えるのは、越流津波が堤防から少し斜めに進むことも影響しているでしょうが、津波のピーク時刻が検証委員会の推定よりも2分以上遅かったことが主因である、というのが私の結論です。

 検証委員会が推定した新北上大橋におけるピーク時刻は15時32分、大川小学校の時計が停止しているのは5分後の15時37分前後です。しかし、ここから2キロも離れていない月浜第1水門の位置で、実際に津波が越流して150m離れた建物に被害を与えたのは、委員会が推定したピーク時刻の3分後です。
 そこで、「津波到達まで5分以上かかったのはおかしい」と検証委員会が考えた大川小学校についても、月浜第1水門で3分かかったことを基準に、「5分から3分を引き、残る2分の遅れを合理的に説明できれば十分だ」と考えたことに、同意していただけるだろうと思います。